Siomizuのブログ

Siomizuのブログ

心地よい生活を送るためのライフハック,ライフスタイルなど

自分だけのやり方でやること

 

自分の行ってた高校は,自由放任で「個人」を尊重する校風でした.公立の伝統校でありながらも,制服も校則もありません.とても自由な生活を送ることができました.こうした校風は,地方圏の公立のトップ校では比較的共通しているようです.

大学に受かるも落ちるも,浪人するもしないも,やるもやらないも全て自分次第.そこがものすごく魅力的でしたし,自分にとってはその環境がものすごく合っていました.

 

大学受験に向けて大切なのは,独自の勉強法を身につけることです.自分の行ってた高校では,勉強法を「個人」で考えさせてくれる「自由」がありました.こうしたやり方が合うかどうかは,人によりけりだと思います.でも,自分は何よりもこの「自由」に助けられたと思っています.

 

勉強法は「自由」なので,皆がいろいろなスタイルで勉強しています.「先生にめちゃくちゃ質問する人」もいたし「自習室に缶詰になる人」もいました.どんな勉強法でも,各々が「大学合格」という目標に向かって勉強していることには,変わりがありません.自分は,各々のスタイルで勉強している人たちの技巧を凝らした実践を,尊敬していました.

「個人」で「自由」に考えた勉強法に関して「効率的じゃない」「もっと良い方法があるだろう」と思う人もいるかもしれません.確かに,誰かに相談すれば,もっと良い方法が見つかるのかもしれません.でも,少なくとも自分の周りでは,こうした勉強法に関して,学生同士や教員からの同調圧力や妬み辛みは見聞きしませんでした.とてもストレスフリーな環境でした.

むしろ「そんなところで圧力かけあう方が頭悪いでしょ」みたいな風潮はあったかもしれません.でも,密かにそれは正しいと思っていました.人の生まれ育ったバックグラウンドや,現在置かれた状況は,人それぞれ全く違うものだからです.だから,そこに共通の「正しい」解は,存在しないからです.

 

より良い勉強法を身につけ続けていくために,教員は勉強法を押し付けるのではなく,こうした教材があるよとか,進学するとこんなメリットがあるよ,とか,この教材を解いていれば大丈夫だ,という道筋を示してくれました.

周りの友達は,サラッと模試でいい成績をとり「あいつは勉強してるな」という姿を見せつけてくれました.そのことを自慢して言いふらしたりしている姿も見たことはありません.お昼休みや放課後には,少しの自慢を聞いて刺激をもらいましたが,でもそれだけです.その他の時間は,普段通りに接してくれていました.

こうした配慮も「自由」を感じる場面の一つでした.

 

自分はいろいろな勉強法を試した後,2年生の4月頃に「自分1人だけの時間を増やす」ことが大切だと悟りました.友達と一緒に勉強したり,誰かと自習室で勉強したり,塾に行ったり,という勉強法が,全く合わなかったのです.これは昔からそうでした.自分が目標を達成するためにはどうしたらいいかを考えながら,1人の空間で,黙々と行動して実践することが,性に合っていました.1人の空間で考えることが,一番落ち着いて集中できました.

勉強のことを友達に聞くのも,かえって逆効果だということが分かったので,勉強のことは,本当に知りたいことだけ,信頼のおける先生に聞くようにしました.

勉強場所は,1人で勉強できる喫茶店や,公共施設の喫茶スペース,公民館など,あまり知り合いがおらず,誰からも邪魔されないようなスペースで勉強することにしました.夜は家でも勉強していましたが,実はその頃,家庭の事情で全く勉強に集中できる状態ではなかったので,家よりは外で勉強していました.

 

この過程で,自分は本を読むことが得意で好きだということが分かりました.人の話を聞いたり人と話したりするよりも,本を読んで勉強する方が定着するし,理解が深まりました.本が好きだからといって,必ずしも現代文や小説ができたわけではありません.知識や情報のインプット媒体として,本が最もフィットしていたというだけです.だから,本(教科書,参考書,授業プリント)を粘りっこく頭にインプットしていくことにしました.

 

こうした勉強を信じて実践していたら,幸運にも,今の大学に合格することができました.合格したのは運の要素も強いですが,その下敷きには自分で「正しい」と思う勉強のやり方を信じて継続できたことが大きいと感じています.

 

自分のような勉強法は特殊だったのかも知れませんが,周りの人たちに,とやかく言われることは一切ありませんでした.とてもストレスフリーでした.学生同士も,お互いのスタイルには無関心だったのだと思います.「大学合格」というゴールが決まっている以上,そこまでの道筋の組み立て方は人それぞれだということを理解していたし,お互いのスタイルに構っていられるほど時間がなかったのでしょう.この環境が,自分にとっては逆に安心でした.

そんな中でも,お互いがお互いを高めていこうとしていた風潮があったのは,励みになりました.お互い何も言わずともな雰囲気があったと思います.勉強法の話もたまにしました.「たまに」だからこそ,いい刺激になったのかも知れません.

 

高校時代は人に恵まれて,交友もたくさんありました.でも,3年間を通して「自分1人だけで過ごす時間」は本当にたくさん作ることができました.無遅刻無欠席で授業でてたし,何ヶ月かに1回はライブを開いたり,週に何回もカラオケに行ったり,古着屋めぐったり,ジャンボパフェ食べたり,友達んちでゲームをしてたはずですが,それでも自分が「自由」であるという感覚が,この時代には強くありました.

 

 

ふと,高校の合格体験記を開いてみると,自分のページにこんなことが書いてありました.

 

<自分のキャラを見極める>

…自分の性格を見極めることは大切だと思います.何故かというと,自分に合った勉強法を組み立てることができるから.…ただどれもそのまま受け入れるのではなく,自分がやりやすいように,自分の性格に合ったやり方に変えた方が良いと思います.

 

<弱いからこそ,環境が大切>

○○(高校名)の環境は…本当にありがたかったです.環境が人を変えます.

 

今読み直すと,自分のキャラを見極めて,自分の性格に合ったやり方を自分で作り上げることができたのも,何よりも自由放任で「個人」を尊重する校風,風土があったからだと強く感じます.だから,前者のトピックは,後者と関連していると思ってます.

 

 

合格体験記の章の出だしは,こんな自己分析からでした.

僕は本当に弱い人間です.部活も1年で辞めてしまうし,人に流されやすくミーハー.精神的に脆いことがあることを自覚していました.一方で面倒くさがり屋な面もありました.

 

だからこそ,日頃,高校はモチベーションを高めてくれる場だったように思います.

「こんなんで高校生活終わっていいのか!?一緒に頑張ろうよ!」

キクタンと長文やらないと寝れませんので〜」

…たくさんの人たちに感化されました.

 

 

合格体験記に記載してある数々の言葉を拝借すれば,勉強は因果応報.努力したら努力しただけの結果が跳ね返ってきます.

でも自分は「正しい」努力が何なのかを理解できるオツムが弱い.これは,高校1年生の時にいろいろな勉強法を試して分かったことです.

 

だから,世の中的な「正しい」からは一回離れて,自分だけの「正しい」やり方で継続していけば,世の中的な「正しい」につながる努力ができる.これが高校3年間で自分が得た結論でした.

自分の「正しい」やり方を信じること,実践することが,世界とつながる一番の近道だと.

この答えは自由にやらせてくれない環境,個人のやり方でできない環境であったら,身に付かなかったと思っています.自分は今でも,この3年間で得た答えに救われています.

 

この文章は,あくまで個人の感想にすぎません.例え同じ時代に同じ場所で過ごしていても,人によって感じ方が違うと思います.多分「自由」と感じていなかった人もいると思います.同じ「自由」を感じていた人でも,答えの出し方は人それぞれだから,違った問いと答えが成立すると思います.だからあくまで一人の経験として読んでほしいです.

でも,自分にとって重要なことは,高校時代ほど「自由」だと感じた時間はなかった,ということです.大学時代も似たような生活をしていましたが,それほど自分の「自由」はなかったように思います(あった時もあった).

それは,世の中的な「正しい」を知らず知らずのうちに採用して,自分だけの「正しい」やり方を涵養することを忘れてしまっていたからだと思います.自分だけの「正しい」やり方は自分の糧となって世の中的な「正しい」にも少しずつ接合していく.自分が出した自分だけの答えを忘れずにいたいと思った今日この頃です.